12/8のと里山農業塾の開塾式

8/1に申し込んでいた『のと里山農業塾』の開塾式が12/8に開催されたので参加した。会場はJA羽咋駅から2.4kmくらいの邑知の郷(おおちのさと)公園内にある研修センター。当日はオリエンテーション・自己紹介と、自然栽培概論(導入編)のみ。今年初めての寒波襲来で、冷たい強風と雨(時折あられ)にたたられたが、何とか無事終了した。

[caption id="attachment_2546" align="alignnone" width="300"] 邑知の郷公園[/caption]
[caption id="attachment_2544" align="alignnone" width="300"] 公園内にあるのと里山農業塾の研修農場[/caption]

式に参加された塾生は16名で、関東からは東京・千葉・神奈川など、関西からは大阪、滋賀、北陸は富山、地元石川県羽咋市からで、他府県からの参加者が大多数で、複数回参加の方もおられた。

自然栽培概論(導入編)

講師のJAはくい販売推進課課長粟木氏は、豊岡市コウノトリ育むお米の研修視察に来られており、地元農家さんの話も聞かれ、地域を挙げて誇りをもって取り組んでいる姿に感動されたと、講義の冒頭に話されました。僕が自己紹介で豊岡市コウノトリについて触れたのを受けての話しだったのですが、大変有り難く、これまで大変な苦労をされてここまで育んでこられた豊岡市コウノトリ関係者の皆様に感謝申し上げます。

概論(導入編)の中で印象に残ったことを記録しておきます。

1. 何のため、だれのための自然栽培なの?
① 自然とは、辞書には「人の手が加わらない、ありのままの状態」
② 栽培とは、辞書には「人の手で植えて育てること」
③ 自然栽培とは、辞書的には矛盾する⇒自然と人との関係性、バランスと考える。

2. 自然栽培に必要なものって何だろう?
① 自立:自分の頭で考えること。
② 素直:「人(例えば、木村秋則さん)」に従順であること、ではなく、「真理」に寄り添うこと。「真理」の他に、例えば「野菜」「赤ちゃん」「周りの農家さん」など、あらゆる対象物に寄り添うこと。実際、木村秋則さんは、自身の成功や失敗をシェアし、もっといい方法を皆で探してもらいたいと話されている。
③ 仲間:活力源になる。
※(参考)市場の動向:外食産業が野菜に求めていることは「味のない野菜。レシピで全国同じ味になるように」。しかし、若いシェフは市場ではなく、現地の農場に行っている。
※現在は、農家→JA(マージン2~3%)→市場(30~40%)→スーパー(残り)→お客さん。しかし、今後農家に必要なものは、かつて鍬→トラクターだったが→スマホに変わる。農業改革からダイレクトマーケティングへと流通改革が必要。

3.自然栽培という価値観について
木村秋則さんのりんごはなぜ売れたのか?
奥さんが農薬散布の度に体調を崩し寝込んでいたので、無農薬栽培を開始。しかし、花も咲かず木も枯れるという失敗の連続で、遂に8年目に力尽きて自殺しに岩木山に登った。そこで無農薬・無肥料でも立派に実をつけている栗の木に遭遇、土の違いに気付く。それからはりんご畑に下草を生やし、微生物の多様性を図り、3年後にりんごが生った。実に栽培に成功するまで11年かかった。しかし、すぐに売れたわけではなく、それから15年後ようやく売れるようになった。そのきっかけが、NHKプロフェッショナル仕事の流儀に出たこと。無農薬栽培開始から26年もかかった。ただこれから始める人たちは、自然栽培の認知度が上がっているので、もっと早く売れるようになるはず。
②「自然栽培=無肥料無農薬」なのか?:これはNG。「栽培期間中、化学肥料、合成農薬不使用」としか云えない。自然栽培米は「共感型商品」だが、米政策は全く別の方向へ進んでいる。
米政策の方向性は、1)輸出用米:肥料農薬を使って多収量米を目指す(味▼、品質▼)、2)飼料用米:1人1年120kg食べていたが今は50kgに減少。よって豚のエサに舵を切った。食用なら卸値220円/kgだが、豚のエサは30~40円/kgにしかならないので、8~10万円/10aの補助金を出している。3)加工用米・外食用米:くず米、B銘柄化に向かっている。
③ 日本から田んぼが消える日:高齢化で5~10年で消える。日本の農地の70%が中山間地。米国の大規模農業には全く太刀打ちできない。オーガニックも大規模化・効率化を目指しているが、国の都合でルール化したものなので将来変更ありうる。米国のオーガニックライスは300円/kg、日本は不利で歯が立たない。東京では今オーガニックブームだが表面的に感じる。
④ 自然栽培の真の目的とは?:自然栽培は、万物の背後に精霊を見るなど多神教的な日本人にしかできない。私益性の強い中国人にも一神教の西洋人にもできない。よって世界に自然栽培の価値観を発信すること。種子法が廃止され種が大企業に支配されるなど、後戻りできない動きが出てきている。伝統文化を守る、継承することが不可欠。

※自然栽培実践者は報われない。自然栽培でできた農作物を「食べない」から。有吉佐和子『複合汚染』、貝原益軒『養生訓』などあるが、人は「まだ大丈夫」と考えている。

以上、簡単なメモを取っただけなので正確さを欠くところがあるかもしれないが、印象に残った点をまとめた。
自然栽培は人類史的に画期的な発明なので、次代に継承すべく取り組みたいと元々考えていたので、「世界に自然栽培の価値観を発信する」との目的意識を聞いたときは大いに共感するとともに、中途半端な姿勢では済まない、全身全霊をかけて取り組まねばと、改めて襟を正さずにいられなかった。

おまけ:帰路のJR羽咋駅構内